第46回 意思決定支援が必要な患者さん
- 公開日: 2019/9/23
今回は患者さんの意思をどう支援するか、という事例についてアンケートを3つ同時に実施しました。この3つの事例とみなさんの回答を見ながら、患者さんの意思決定を支援するとはどういうことかを考えていきます。
一番回答数が多かったものをメインに、まずは事例を1つずつみていきます。
【事例1】
血管外科病棟に入院中の60歳の男性患者さん。足壊死があり、足の切断が必要な状態ですが患者さんは足の切断を決心できません。しかし、足を切断しないと病状は良くならず、疼痛も続き離床もできない状況です。手術を決心してもらわないと手術の必要がなくなりケアのみの入院となるため大学病院での治療を受ける必要がなくなってしまいます。
手術をして必ず良くなる保証もあるわけではなく難しい選択であり、患者さんの気持ちもわかります。
医師がわかりやすいように紙に書きながら説明をしましたが、切断は拒否され、足の状態は変わらないままです。
1つしかない結論にどう向かってもらうかのアプローチ
医療的に切断したほうがよいため、そこにどう患者さんの気持ちを向かわせるかを考えないといけない事例ですね。いくつかある選択肢から選ぶのではなく、1つしかない道を進むのか止まるのかを考えている人の意思決定支援となります。
患者さんは、理屈ではわかっていると思うのです。わかっていたとしても切断したら、もう元には戻らないわけですから、不安があるのはもっともです。しかし、下肢はもともと異常がなく機能していたはずですが、今は壊死していて痛みを引き起こす原因となってしまっています。例えば、がん細胞も自分の細胞ですが、だからといって切除しないかというとそんなことはないでしょう。目に見える部分と見えない部分という違いはありますが、根本的な考え方としては同じであり、切断することを決心してもらわなければなりません。
さらに事例をみると、切断してもよくなる保証はないとも書かれています。ですが、切断しなければ確実に悪くなります。切断して今より良くはならなくてもそれ以上は悪くならないと考えれば、先を考えると切断した場合としなかった場合では、確実に違いが出ると考えられます。こういったことを患者さんに伝えていかねばなりません。では、どのように伝えるとよいのでしょうか。
結論のみを伝えるのではなく、思考の過程も伝える
例えば、かけ算を知っている人であれば、3×4は12とすぐに答えは出ますよね。でも、かけ算を知らない人に答えを出してもらう場合、かけ算とは何かやかけ算のやり方を教えたり、3×4とは3が4つあるということだから、それらを足しあわすといくつになるかをみてみましょう、というようなアプローチをするのではないでしょうか。
これをこの事例に当てはめてみると、医療従事者であれば、知識とこれまでの経験(かけ算を知っている)から切断(3×4は12)しかない、というのはすぐにわります。患者さん(かけ算を知らない人)は、切断しましょう(3×4はいくつになるでしょうか)と言われても答えを出すのに時間がかかるのです。「切断するしかないのです(12しかないでしょう)」と医療従事者側から押し付けるのではなく、患者さん自身が「切断するしかないのだな(12なんだな)」と腑に落ちてもらうことが必要です。
話を聞く、寄り添うというのであれば、やはり自己開示も必要です。「切断したほうがよい」という結論のみを伝えるのではなく、「もし、自分だったらどうだろう」「自分の家族だったら、どうするだろう」ということを考えたり、メリット・デメリットを考えたりしたこと、そして、自分はどう結論に至ったかも伝えるとよいと思います。ただ、ここで難しいのが自己開示も一歩間違うと主張の押し付けと取られてしまうこともあること。その点については注意しましょう。
前向きになるような情報提供を行う
それとみなさんの答えで多かったのが、「切断しないことのデメリットを伝える」というものでした。デメリットばかりを伝えると患者さんが脅迫されているように感じるかもしれませんし、萎縮してしまうかもしれません。ですから、メリットやもう少し前向きになれることも伝えられるとよいのはないでしょうか。実際に切断を経験した人に経験談を聞くピアサポートを利用して不安を取り除くのもよいかもしれません。
その上で、患者さんが意思決定するまでどこまで待てるのかも検討します。この場合、大学病院では手術をしない状況でいつまで入院できるのかといった環境面についてや、患者さんの下肢には壊死がありますから、切断しないままであればいつまで待てるのかといった医療面のタイムリミットも確認しておくことが必要です。
また、一度、退院したらもう二度と医療が受けられないというわけではないはずなので、一度退院することや、違う施設に移るといった選択肢を提示することもよいのではないでしょうか。
患者さんの思いを傾聴して寄り添うとはいってもいつまでに結論を出さねばならないのかを把握し、患者さんにアプローチすることも大切です。
みんなの回答(n=110)
Q1.このような状況のとき、あなたならどう考えますか。 | Q2.患者さんに手術について前向きに考えてもらうためには、どのようなアプローチをしますか。 |
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患者さんの病識の有無や理解度を再確認する。家族と情報交換する。 何が不安なのかしっかりヒアリングする。 |
病識の確認と理解を促し、不安なところを話してもらう。 その一つひとつを十分に説明し理解度を確認する。 理解された後で、切断した後のことを話すようにしないと今は、切断するという不安でいっぱいなんだと思う。 |
足を切断するというのはなかなか決心がつきづらいとは思うが、既に壊死してしまっている以上は仕方のないこと。 | 今のまま疼痛を我慢し続けるよりも、できるかぎり早期に決断し、手術を行うことが今後の生活を考えると良いことであり、同じような病態でうまく生活できている人の事例を紹介する。 |
アンプタした後の不安を聴き、その不安に対する福祉や社会の介入や、ケア方法の提案をする。また、アンプタしない場合のデメリットを説明する。 | アンプタした経験のある患者さんの経験談を聞いてもらう。社会復帰している方々の話を聞いてもらい前向きな気持ちになれるようアプローチする。 |
60代であれば、平均寿命から考えてもあと20年程度の余命があると思われるので、切断という決断には勇気が必要だとは思いますが、前向きに手術を受け入れていただきたいと思います。 | 切断を経験された方のその後のお話をしたり、可能なら経験された方に直接お話をしていただいたり、術後の不安を少しでも和らげるように努めたいと思います。 |
大学病院での入院患者対象の特性を伝え、地域連携を図って、とりあえずは療養病院へ行ってもらい、もし手術を決心したり他の相談があれば、来院していただきますようにと相談させてもらうと思う。 | 手術をしないデメリット、また、手術をされた方のメリットのお話をします。 寝たきりの生活と、障害を持ってしまうけど動ける生活、どんな余生を希望されるのか十分話し合います |
患者さんが結論を出せない時期で、もしかしたら入院が早すぎたのでは? この入院計画はどのような流れで誰の主体で決まったことなのか? | (手術でよくなるわけではないかもしれないことなので)前向きに捉えてもらうアプローチが必要か? とまず考えてしまう。患者さん自身に決めてもらえなければ意味がない。 結論を待っていても仕方ないので、事実としてケアのこと、ケアを受ける場所に専門性があること、手術を受けた場合と受けなかった場合でのフローチャートのような形での説明をする。 |
患者さんの言動や思いを聞き取り、患者さんが納得できるような環境をつくる。 | 壊死があることで、体全体へのリスクを伝える。 |
【事例2】
療養病棟に入院中の80歳代の女性。
病院の食事は嗜好に合わず食が進まないと嫌そうに食べている患者さん。それでも頑張って1時間かけてほぼ全量摂取されます。NSTは、なんとか病院食を食べさせようと高カロリーゼリーなどを試しましたが、結局家人が持ってこられるエナジーゼリーのほうが好みで勢いよく摂取されます。するとNSTでは、食べるのに時間がかかるのはエナジーゼリーのせいではないかと、できるだけエナジーゼリーを避け、病院食を食べてもらうようにするべきだと言うのです。
たしかに、NSTは患者さんの栄養面を考えているのでしょうが、私は栄養だけでなく、本人の満足感なども考えるべきではないかと思います。患者さんの人生観などによりますが、人生の最終段階、好きなものを食べて最期を迎えるほうがいいと思うのは、ダメなのでしょうか。
私は、本人が食べたいものを食べられるだけ食べればいいと思い、リーダーナースにも相談しましたが、医師どうこうよりもNST的にそれはダメだと言われました。そのため何もしていません。
その結果、さらに食べるのが遅くなりました。
患者さんの意思を尊重できる環境づくりを
まず、この事例を読んでNSTの人たちが見据えている予後と事例を提供してくれた看護師さんの考えている予後が違うのかもしれないと感じました。事例には“人生の最終段階”とありますが、それが具体的にどれくらいの末期なのかによって好きなものを食べたほうがよいのか、しっかり栄養を摂ったほうがよいのか、考え方は変わってくるのではないでしょうか。
また、NSTには職業倫理的な正義もあるのだろうと思います。それが共有できていないから、どちらが正しいのかといった話になってしまっている。最終的に患者さんがどう思っているのかを尊重することは忘れてはいけませんが、あと数カ月というような末期でないのであれば、NSTとしては、好きなものを好きなだけ食べればよいとはいえないのではないか、ということを頭の隅に置いておくとよいのではないでしょうか。
どうアプローチするかですが、回答している人もいますが、NST的に何がダメなのかをしっかりと確認するところから始めてみてもいいと思います。そのほかには、医師に働きかけるとありますが、実際にオーダーを出すのは医師なのでそれもよいでしょう。患者さんの意思決定の支援を行うというのは変わりませんが、この事例の場合は、働きかけるのは患者さんではなく、NSTといった人たちで患者さんが意思決定をしやすい環境を整える、というところにアプローチが必要ではないでしょうか。
みんなの回答(n=66)
Q1.このような状況のとき、あなたならどう考えますか。 | Q2.患者さん本人の意思を叶えようと考えたとき、誰にどう働きかけますか。 | Q3.このような状況になったとき、あなたは患者さんに何かケアを実施しますか。 |
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家での嗜好や好きなものどのような食事や味付けだったのかなど患者さんの情報収集を行いアセスメントを行う。そのうえで対応できそうなことを検討する。1時間かけてでも、完食されているのだから患者さんは栄養摂取することの大切さはわかっていると思う。患者さん持ち出しになるかもしれないが今は、レトルトでも老人食や制限食への対応がある。 今後、在宅へ帰る場合と施設へ行く場合とによっても変わってくるとも思います。 エナジーゼリーは今は本人の唯一の食での楽しみになっているから中止するべきではない。それを中止してしまうと全て嫌になってしまうことへも繋がりかねないと思う。 |
家族と栄養部へ。 NSTは病気と栄養の観点からこうしたほうがよいと言ってくるが、患者さん本人のこと、嗜好や生活状況などを知ってるのは看護師であり、この後の患者さんの生活を考えるとどのようなことをしたほうがよいのか出てくると思う。 栄養部で対応できる範囲で対応してもらい栄養部で対応できないのであれば、患者さんの嗜好にあった老人食や制限食のレトルトを家族へ持ってきてもらう。 |
NST的にダメだからだというのは根拠がない。医師に確認して、今後の患者さんの生活や病態、未来のことを見据えた対応が必要。 いくら病院でできていても、退院した後のできないことをしていてもまた入院を繰り返すだけ。この患者さんの未来が在宅なのか施設なのかどこなのかそれによって対応が変わってくると思います。 |
私も本人の食べたいものや満足感を考えていいと思います。しかしそれによって 院内にいる意味がなくなるのであれば、家庭でエナジーゼリーを食べて生きていく、でもいいと思います。 | 家族に働きかけて、自宅へ戻る方法を考えます。院内にいるのに、訓練できない状態なら訓練しなくても食べたい、食べられる物を与えて最期を迎えるでもいいと思います。もしくは緩和ケア病棟などへ移り、最期を迎えられる準備を考えてもよいと思います。 | その訓練に意味がありますか? と本人へ確認します。やりたくなければ目標設定を変えて、退院していいと思います。 |
本人が食べたい物(家族の差し入れ)を食べてよいと思う。家族が負担になるよなら病院で 出せる似たようなものを代用していく。 | まずは医師。 | 本人と家族の意向を確認する。 |
本人と家族の意向を尊重したい。NSTは、カロリーを摂ってもらいたいかもしれないが、現段階で、多少でも、口にするものがあるのなら、それを続けたらいいと思う。 | 患者さんの摂取状況を伝え、主治医の考えを聞く。 | 何がダメなのか、NSTは、自分の任務を全うすることしか考えてないのでは? 患者目線が必要では? |
終末期ならばその人らしく食べたいものを食べれるようにどうしたらよいかを考えたらいいと思う。 | まず主治医に確認する。そのあと、カンファレンスを開いて方向性を決める。 | NST的に何がダメなのか確認する。 |
本人の嗜好品をたべてもらうことについては、ダメではないと思います。私は、NSTがなにを根拠に病院食にこだわるのかが、鍵になるのかなと思います。栄養状態や疾患予後に著しい問題があるから病院食にこだわるのか、はたまた、患者さんの今の気持ち、家族の気持ち、治療の方向性などを知らずに、食事量や時間だけにこだわってるのか……、後者ならNSTを交えたカンファレンスなどで方針を明確にしてもいいかと考えます。前者であるなら、それでも、本人がエナジーゼリーを食べたい。家族も本人の意向に添いたいかによるのかと。なんらかの問題がエナジーゼリーを摂ることにあるのであれば、毎日ではなく、お互いの中間点を取るのもアリだと思います。なぜならば、患者さんは1時間もかけて一生懸命食事をとっている。または摂れているんですよね? そこを患者さんが苦痛に感じてるのか、苦痛でも食べないといけないと自覚して頑張って、より長くいきたいと思っておられるのかによってサポートの仕方が変わってくると思います。なので、ダメでもなければ、良いと簡単に考えるのもよくなく、患者さんや家族の理解度と何を望んでいるかによって、優先すべきことを決めるのがよいと考えますかね。 | まず、患者さん、家族、医師にそれぞれの思いと見解を確認します。なんならカンファレンスします。そのうえで方針をNSTに伝えます。病棟ののNST委員さんがいるならその人経由で伝えてもらいます。うまく伝わらないようならNST踏まえた多職種と患者さん本人、または、家族を含めたカンファレンスでもよいと思います。 | 患者さんに食事に対する思いを確認する。NSTがダメだという根拠を伝えて、患者さんがよりその中で満足できる方法を一緒に考える。 あとは食べる以外のケアで、QOLを高められるように本人と違う楽しみをみつける。 |
今後この方がどのような生活を送ることが見込まれて、栄養の改善が今後のADLやQOLに大きく寄与するなら頑張ってでもカロリーの高い食品を摂取してもらうよう働きかけるべきだし、そうでなければ本人の嗜好に合わせたほうがQOLが高くなると思う。今後の見通しからみた現状の対応を医療者間で検討したい。 | 主治医に今後の見通しを確認。栄養摂取がどの程度本人のQOLに影響するかをアセスメントしたうえで、NSTと今後の対応について話し合うのがよいと考えます。 | 栄養摂取の重要性を本人がどのように認識しているのかについて情報収集する。 |
【事例3】
精神科に入院している60歳代の男性で末期の患者さん。嚥下機能は低下していますが、食思はあるため、食物を口に入れますが咀嚼嚥下はできない状態です。
しかし、食べたいものの意思伝達はありました。
味覚もないとは思いますが、意思尊重を考えたとき食思に対して良いケアができないかと考えました。
カンファレンスを行い、患者さんの意思に対してのケアについて検討しました。
見る・口に入れることを吸引がいつでもできる状態で対応。看護師の中には怖いからと実施しなかったり、そこまでする必要があるのかなどの意見も多くありました。終末期で精神疾患のある患者さんだったため、意思は聞けていません。
問題を1つずつ考えてアプローチを
この事例の患者さんは食べたいという意思はあるけれど、機能がついていかないということですね。そうなると、例えば、食べるものを工夫するなど機能をどうサポートしていくかを考えることが第一です。事例を出してくれた看護師さんは、咀嚼嚥下がうまくできないのであれば、技術でカバーできないかということで、見守りと必要であれば吸引を行うことで具体的に対応しています。本人が食べたいという意思があるのであれば、安全に食べてもらうためのできる限りの技術は提供しなければなりません。怖いという看護師がいるとのことですが、技術を向上することでカバーできるのであれば、そこは頑張らなければならないと思います。
それと吸引が怖いというのとそこまでする必要があるのか、というのは別の次元の話ですから、切り分けて考えないといけません。怖いから実施しないというのは、技術を習得すれば改善できることです。終末期の患者さんにそこまでする必要があるのか、というのは倫理的な問題です。技術が足りない部分と倫理的な問題を横並びに考えてはいけません。まずは、我々ができるベストのケアを提供して、その上でどうするかを考えるのがよいのではないでしょうか。
みんなの回答(n=79)
Q1.このような状況のとき、あなたならどう考えますか。 | Q2.患者さんの意思を尊重するために、何ができると思いますか。 | Q3.このような状況でカンファレンスを行ったとき、あなたならどのような発言をしますか。 |
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病態を説明した上で家族の考えを聞く。 本人の意向は食べたいと言うことだと思うので。 |
嗅覚や視覚で刺激する。食べたいものの臭いを利用したり、視覚に訴えたりする。 と同時に、口の中には、小さな氷の欠片を含ませる。 |
嚥下機能の再評価を行い、どの程度なのか理解を統一する。 その上でできそうなことを考える。怖くてできないというのも十分わかる。 |
嚥下できる内容物の中で嗜好を取り入れる。 | 意見は聞けるけどその嗜好を反映することによって 命に関わる危険があることを わかってもらえることが意志尊重にもなる。 | 本人が望んでいると決定できなければ、やれることとやらないことは統一したほうがよいと思うので、最終的には医師の指示や関わるスタッフ全員が全員対応できる方法を取り入れるのがよいと思う。 |
本人が食べたものを食べられるよう、ミキサーをかけたり水分にできるものなら味を楽しむだけになめてもらってりする。 | とりあえず思い付くことをやってみる。それで本人がよければやっていく方向を決めていく。 | しなくていいと思ってる人は、なんでしなくていいのか確認する。病状悪化とかなら本人や家族の意向はどうなのか気にならないのか。 怖いなら人手があるときなどあらかじめ決めて対応していけばよいのではないか。 |
できるかぎりニードに答えてあげたい。 | 食形態を工夫し経口摂取を行う。 | 終末期だからこそ、できるかぎりニードに答えるのが看護ではないのか。 |
患者さんが好きな味のゼリー状の食べやすい形状の物を少量食べてもらう。 | 食べたい欲求をどのような形ででもいいので、満たせるようなアイデアを考えて患者さんに満足してもらえるようにする。 | 患者さんの意見も大切だとは思うが、家族がいるのであれば、残される家族の気持ちも把握するほうがよいと思う。 |
嚥下機能は低下しているということだが、どの程度低下しているのか評価が曖昧なので、STや耳鼻科ドクターなどにより、ちゃんと評価してもらうことが必要。 | 嚥下機能を評価したうえで、どのようなものだったら安全に摂取できるか相談する。 | 怖いときは、誰かと一緒にケアして患者さんの望みを叶えてあげればよいと思う。倫理的にどうなのかとう側面や家族の気持ちはどうなのか聞いてみる。 |
食べたいという思いを尊重する。 | 何が食べたいか、何ができるか、一緒に考える。 | 吸引や誤嚥に対する看護側の技術向上。 |
この方にとって、「食べる」ことがどのくらい重要であるか、家族との関係性や家族の思いはどうであるかを考える。 | 主治医を巻き込んで、食べることのリスクを本人や家族に了解してもらったうえで、食事を提供できるようにする。 栄養科とも連携して嚥下しやすい形態の工夫。 |
終末期だからこそ、リスクがあっても本人の希望に少しでも添うということができたらいいなと思う。 |
どのような状況の患者さんでも、食べたい・寝たい・排泄したいなど、最後まで人間らしい欲求は残っていて、看護師としては患者さんが最期を迎えるまで、その人らしさを支える必要があると考えます。 | 例え、嚥下ができなかったとしても、誤嚥しない万全な状況を整えて、食べたいものを選ぶ・食べ物を口に入れる・それを噛むといったできる範囲の食行動をしてもらう。冷たいものは冷たく、温かいものは温かくして提供し、私たちが日頃行なっている食行動になるべく近づけた状態を整える。 | 自分がこの患者さんと同じ状況だったらどうしてほしいですか? 私だったら、やりたい事を我慢して死んでいくよりも、最後くらいは望みを叶えて死にたいです。看護師は患者さんの命を守る役割もありますが、それと同時に、どのような状態でも患者さんのその人らしさを守り、支えていく役割もあると思います。 |
患者さんの食思を満足させるケアについてチームで考えたいと思う。 | 患者さんに具体的に食べたいもの、なぜ食べたいのか、それを食べた時の思い出などを傾聴する。 医療者の見守りのもとで、窒息に注意して、飲み込むことはできないが食べ物を口の中に入れて食感や香りを味わって吐き出すようにすることを提案してみる。 |
見る、口に入れることをした時の患者さんの反応はどうだったのか? 表情や雰囲気で満足感が見られたならよかったと思う。 しかし、窒息の危険がある中でスタッフが対応に怖さを感じるのも確かだと思うので、そういったスタッフでも対応できるためにはどうしたらよいか? 時間を決めて2人以上のスタッフで対応するなどの方法を検討しながら患者さんの満足のいくケアが続けていけたらよいと思う。 |
意思決定支援にはさまざまな形がある
今回の3つの事例は、患者さん・当事者の意思をいずれも尊重しなければならない意思決定支援を考えるものでした。本人が何かを決めることをサポートすることを意思決定支援といいますが、一口に意思決定支援といっても事例で見てきたように何を支援するのか、意思決定のタイムリミットはどれくらいなのか、働きかけるのは本人だけでいいのかといったさまざまなことを考えなければなりません。
それぞれのアプローチをまとめてみると、事例1の患者さんは、医療的に正しい道はおそらく1つしかないけれど、どこまで本人が歩むスピードに周りが付き合えるか、時間的にゆとりがあるかということをまずは考えなければなりません。本人へのアプローチもそうですが、自然とその道に進むような形にする環境づくりも大切でしょう。このように、「これしかない」と決まっていても足踏みして進めない人の背中をそっと押してあげたり、足踏みする範囲を広くしてあげたり、「これしかない」としてもそれにどれだけオプションを用意できるか、ということを調整することも広い意味での意思決定支援だと思います。
事例2は、NSTのいう「この食事がよい」ということが、本当にそうなのかと働きかけることが意思決定支援につながるのではないでしょうか。
事例3は、本人がどうしたいかということを最終的に尊重したいですが、それ以前に我々の技術を見直すなど患者さんへのアプローチの前にやることがありますね。
意思決定支援にはさまざまな姿があり、今回のように1つひとつ見てみるとアプローチの余地がどこにあるのか、というのは少しずつ違います。みなさんが意思決定支援の場面にかかわるときには、アプローチの余地がどこにあるのかをしっかりと見極めてほしいと思います。