第28回 抗がん剤による脱毛体験の意味を理解する
- 公開日: 2016/2/25
- 更新日: 2021/1/6
医療者が患者の治療・ケアを行ううえで、患者の考えを理解することは不可欠です。しかし、看護の現場では、複数の患者への治療や処置が決められた時間に適切に実施されなければならないことが日常的です。また、心身が辛い中で療養している患者は、忙しそうに働いている看護師に対して、自分から治療や生活上の悩みや困難を訴えるのも勇気のいることでしょう。
そこで、患者の病いの語りをデータベースとして提供しているDIPEx-Japanのウェブサイトから、普段はなかなか耳にすることができない患者の気持ち・思い・考えを紹介しながら、よりよい看護のあり方について、読者の皆さんとともに考えてみたいと思います。
乳がん患者さんが受ける抗がん剤治療後の副作用として、脱毛は最も多く見られます。毛髪に限らず、眉毛やまつげ、もみあげ、鼻毛、陰毛などの全身の脱毛を体験し、その衝撃は計り知れません。
しかし、そこからどのように立ち直り、脱毛という体験をそれぞれの方が意味付けているのか、語りから汲み取ることができます。
脱毛による喪失感だけでなく、毛髪の再生が生の証に
42歳で乳房切除術後に抗がん剤治療を受けた乳がん患者さん(インタビュー時45歳)
こちらをご覧ください
11月の半ば。9月に始まって、完全になくなったのが、1カ月ぐらいで。もう本当に完全に、ツルンという感じでなくなったときには、もう。体中の体毛が全部抜けるんですよ。眉毛から睫毛から全部。で、顔も腫れぼったくなっちゃって。
「これは、ああ、すごく嫌だな」っていう。もう、もうとにかく嫌だなって。もう人に会いたくないっていう気持ちもあるんだけれども、何か、自分の中でね、「家にこもったら絶対に駄目になっちゃう」っていう何かが働いたんでしょうね。
お友達も、そのときに、「外に行こう。行こう」って。「嫌だろうけれど」。人混みは駄目だって言われてたから、「人混みじゃないところで、例えば、日帰りの温泉で、貸切湯ができるところもあるし、ね、そういうところ行こう。おいしいもん、食べに行こう」って。(中略)
お友達が、「じゃあ、一緒にバンダナやろうよ」って言ってくれて。もうとにかく、どっか行くんだったら、同じその100均で買ってきたバンダナをみんなで巻いて。そういう友達がいたから、家にこもらずにいられた。
「NPO法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン > 乳がんの語り」より
「完全に、ツルン」という表現から、全身の毛が抜けた衝撃が伝わってきます。特に、女性の場合、毛髪を失うことは、他者から一見して「がん患者」と推察されやすい身体的変化でもあるため、自己の評価が低くなり、人との交流を避けたくなることは理解できます。
しかし、この女性の場合は、一緒にバンダナを巻いて出かけようという友人の誘いにより、他者からの評価を気にせずに出かけることができたといえます。他者との相互作用がうまく働き、自らの回復への意欲が沸き起こり、立ち直りのきっかけがつかめたことが伺えます。
46歳で乳がんと診断され、乳房切除術の術前・術後に抗がん剤治療を受けた女性(インタビュー時49歳)
こちらをご覧ください
で、もうその治療が終わって、しばらく経ってくると、髪の毛が、産毛が生えてきたときに、「ああやっぱり人間って、やっぱり細胞でできているんだなあ」っていうのを感じましたね。「ああそうか」って、忘れてたけど。
もう治療が一段落したから、またそのお薬の影響っていうのがもうちょっとなくなって、で、体の中で「やっぱり髪の毛が生えたいっていう、生える細胞っていうのがまた動き出したんだな」っていうのを感じたときは、嬉しかったっていうか。
うん、まだ死んでないんだっていうかですね、そういうなんか希望が出てきた感じはありましたね。「あーよかった、髪の毛生えてきた」って感じでですね。(以降省略)「NPO法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン > 乳がんの語り」より
この方は、毛髪の再生を「細胞が動きだす」という表現に置き換えて、単に毛が生えるという現象にとどまらない、特別な意味をもたせています。新たに毛が生えてくるということと重ねて、「まだ死んでいない」、生命の再生に繋げて考え、つまり毛髪の再生は、生への証であることを実感していたのではないでしょうか。
抗がん剤治療に伴う脱毛は、身体的価値の低下をもたらすかもしれません。しかし、その変化にどういう意味を付与するかで、人が本来持ち合わせている底力、「回復力」につなげていけることが、お二人の語りに共通していました。
ステージ(病期)、初発・再発のいずれか、治療経過や身体状況により、脱毛の体験をそれぞれどのようにとらえ、意味を持つかは異なるでしょう。
抗がん剤使用に伴う脱毛がその人にとってどのような意味を持つのかを丁寧に読み解くことが、外見上の調整に関する看護にとどまらず、心身両面の回復を促進するケアを探求する手がかりとなるのではないでしょうか。