第3回 看護の3つの役割|アドボカシー、セルフケア支援、教育・指導
- 公開日: 2019/1/23
患者さんの代弁者(アドボカシー)とは?
私が考える看護の重要な役割は、アドボカシー、セルフケア支援、教育・指導です。まずはアドボカシーについて、考えてみたいと思います。
アドボカシーの意味は、「支援」「擁護」「代弁」です。看護におけるアドボカシーとは、この三つの意味の中で患者さんの言いたいことを慮って他者、特に医師に患者さんに代わって伝える役割「代弁すること」と誤解されています。患者さんの権利を守ることの第一が、なぜ看護師の役割が患者さんの代弁者になっているのでしょう。
例えば、こんな場面があったとします。
患者さん:「さっき、先生から説明をしていただいたんだけど、あまりわからなかったのよね。でも、質問するのも気がひけて……」
看護師:「どんなことがわからなかったのですか?私が先生にきいてあげましょうか?質問したかったことはなんですか?」
この看護師のとろうとしている行動は、まさに患者さんの代弁者として機能しようとしています。適切だと思いますか?
患者さんの疑問を代わりに医師に確認し患者さんの疑問に間接的に応える機能は一見、アドボケーターのようにみえます。しかし、それは誤ったアドボケーターのふるまいです。
こうした場面で看護師がとるべき行動は、再度、患者さんが医師から説明を受けて疑問を解消できる機会をつくることです。医師に限らず、患者さんが必要な情報をしかるべき人から直接、得られるようにすることが患者さんに対するアドボカシーであって、患者さんの代わりに看護師が伝えることではありません。
正解は、「先生のさっきの説明ではまだ理解しがたいところがあることを医師に伝えますね。説明を受けて、疑問に思ったことや確認したいことを一緒にメモしましょう」と伝えることです。
それに、患者さんにわかりやすく説明することは医師の責務でもあります。医師に限らず、他職種の責務を損なうような行為を、同じ専門職である看護師がするべきではありません。
このような誤ったアドボカシーは、患者さんと主治医の信頼関係を損なう行為です。私が主治医だったら、なぜ私に質問すべきことを直接聞いてくれないのだろうと思います。
主治医に聞きたいことがあることを知ったら、その機会を作ること、それが看護です。
看護の専門家として、この‘’大きなお世話‘’をする“おばちゃん看護”を脱却してほしいと思います。
患者さんにとって何を優先すべきか
私がまだ看護学生で実習中に起こったことですが、今でも覚えているエピソードがあります。
やっと食べる意欲が出てきた患者さんの食事中に医師の回診が始まりました。すると、師長が医師に「患者さんはやっと食事を摂れるようになったんです。食事が終わりましたら、ご連絡いたしますので診察はあとにしてください」ときっぱり言ったのです。医師のほうも納得し、「わかりました。食事が終わったら連絡ください」と、食事を優先し、その場を去りました。
師長は、診察よりも食事を優先しました。医師も患者さんの回復に重要な食事を優先しその意見を尊重したわけです。
患者さんの回復状態を日々身近で把握しているのは看護師です。患者さんの立場になって最も優先すべきことを考え実践することがすなわち患者さんの擁護者として看護が機能するアドボカシーです。
セルフケア支援に看護理論や危機理論を応用する
セルフケア支援では、ドロセア・オレムのセルフケア不足看護理論を応用すると、患者さんの看護上の問題が明確になります。問題を明確にすることは問題解決を促進させます。
また患者さんによっては、身体の一部の機能を失うことによって、これまでとは異なるセルフケアを獲得しなければならないケースもあります。私はストーマケアの経験から、その際はフィンクの危機モデルを看護支援に応用してきました。
危機理論は看護理論ではありませんが、身体機能喪失を伴う手術やがんの告知等、受け入れがたい疾病の状況や手術等に必ず伴う危機状況を患者さんが乗り越える支援としてケアに理論を応用することは有用でしょう。受け入れ難い状況を支援するために、危機が人にもたらす反応を理解してケアすることと比べ、感情を最優先に、「大丈夫、心配ないから……」と看護師から大丈夫でない状況で励まされることは、患者さんにとっては苦痛でしかないはずです。大丈夫でないから、心配だから看護師に相談したのに、看護師は、大丈夫ではない状況を理解していないことを、患者さんに示しているにすぎないからです。
危機理論、フィンクの危機モデルは危機状態の段階ごとに、どう介入していったらいいかを示しています。例えば、機能の喪失に対して衝撃を受けている段階で患者さんがパニック状態や思考の混乱に陥っている時期は、静かに見守り、患者さんの混乱した状況を理解し身体の安全に配慮する時期にあたります。
フィンクの危機モデルについては、必ず基礎教育で学んでいるはずです。患者さんの不安に対して、簡単に「大丈夫、心配ないから」と済ませないでください。看護師はこのマジックワード「大丈夫、心配ないから」を発する前に、いったい患者さんはどんな思いでいるのかを察する感性が必要不可欠です。
先に述べたように、患者さんの状況に対して理論を応用し段階的に支援していくことにより、問題解決が早くなります。特に在院日数が短縮されている現在だからこそ、もっと看護に関する理論を活用していきましょう。
本当の支援の意味を考えよう
現在、オストメイト(ストーマを造設している人)用のトイレが設置されているところがありますが、実はこのことに私は疑問を感じています。オストメイト用のトイレは、ストーマの交換がしやすいように広いスペースで、排泄物が漏れて汚れたときに洗浄しやすいように大きなシンクも付いています。
一見、オストメイトのことを考えた設備のようにみえます。しかし、本当にこのような設備が必要でしょうか。
そもそもオストメイト用のトイレがなければ、安心して外に出かけられないような状態となってしまうセルフケアであってはならないと私は思います。本当に必要なのは、安心して外出できるセルフケア確立のための支援がなされていることです。適切な装具を使用して排泄物が漏れることなく、万が一装具に不都合が生じても、一般のトイレでもストーマの交換がスムーズにできて、オストメイトがどこでも安心して出かけることができるようにすること。そうした支援こそが重要だと思うのです。
創造性をもってセルフケア支援・指導を!
セルフケア支援には、セルフケアの指導も含まれ、これも看護師の重要な役割の一つです。
これもストーマケアでの例ですが、防臭剤を患者さんに紹介することがあります。そのとき、単に「臭いが気になるなら、防臭剤がありますよ」と説明したら、患者さんはどういった気持ちを抱くでしょうか。“やはり臭いが漏れるんだ”と思ってしまいます。
現在のストーマのパウチには防臭機能があり、臭いが漏れることはありません。防臭剤をパウチに入れる意味は、外出先のトイレで排泄物を処理した際に臭いが残らないように、つまりエチケットとして使うところにあるのです。
ですから、臭いについては、「パウチには防臭機能があり、臭いは漏れません。外出してトイレで排泄するときのために、エチケットとして防臭剤を使うのもよいでしょう」といった説明が必要です。
患者さんの自立のために本当に必要なセルフケア支援と指導を行うには、科学的な根拠に基づいた知識と看護の創造性が大切です。患者さんが自宅でどんな生活を送るのか、どんな気持ちで過ごすのかをイメージし、そこに必要な支援や指導は何なのかを考える必要があるでしょう。
点を線にするチーム医療
例えば、糖尿病患者さんの場合、治療については医師、薬については薬剤師、食事については栄養士など、さまざまな職種から教育や指導が行われます。看護に重要なのは、各専門職からの教育や指導を点と捉え、それを線にすること。つまり包括的に教育・指導を行うことです。
患者さんの身体状態、心理状態、生活や家族の状況など、さまざまな要素を把握しながら、患者さんが適切な療養生活を送ることができるように指導・教育する必要があります。
そのためには、それぞれの役割を担う専門家や、チームメンバーがお互いの役割をリスペクトする文化が必要です。
次回はチーム医療にどう看護師がかかわるとよいのか、わかりやすくお伝えしたいと思います。
【引用・参考文献】
1)スザンヌ ゴードン.勝原裕美子,監.阿部里美,翻訳:困難に立ち向かう看護―看護師と患者を傷つけるコスト削減、メディアの無知、医学の傲慢.エルゼビア・ジャパン,2006.
2)バーニス・ブレッシュ,スザンヌ・ゴードン. 早野 真佐子,翻訳:沈黙から発言へ―ナースが知っていること、公衆に伝えるべきこと.日本看護協会出版,2002.