インスリン発見から100年~治療の飛躍的進歩と残された課題~
- 公開日: 2022/8/25
2022年6月7日、東京丸の内の鉄鋼カンファレンスルームにおいて、エムベクタ合同会社による糖尿病ケアセミナーが開催されました。エムベクタ合同会社は糖尿病ケア専門企業として設立された会社です。今回はセミナーのなかから、日本糖尿病協会理事及び那珂記念クリニック院長を務める遅野井健先生が「インスリン発見から100年~治療の飛躍的進歩と残された課題~」と題して講演された内容についてレポートします。
インスリンの発見からインスリン療法、製剤とデバイスの開発
当初、糖尿病は奇病であり不治の病とされていました。1921年、カナダの外科医フレデリック・グラント・パンティングがインスリンを発見します。翌1922年1月、初めて人間にインスリンを注射し、インスリン療法が行われるようになりました。
このインスリンですが、昔は豚や牛から採った動物インスリンを使用していました。しかし、不純物を含んでいることと、動物保護の観点からも望ましくありませんでした。1980年、医薬品として、インスリンの構造を人工的に変更したヒトインスリンが誕生しました。現在では、大腸菌やイースト菌を使い、遺伝子工学でヒトインスリンを作っています。
インスリン製剤はその作用時間により、超速効型インスリン、速効型インスリン、中間型インスリン、混合型インスリン、持効型溶解インスリンに分類されます。
このほか、週1回の皮下注射で済むインスリン製剤が開発中で、このようなインスリン製剤ができると、高齢者がインスリン注射を打つ際の介助側の負担軽減が期待できます。
デバイスについては、1924年にBDシリンジが登場しました。当時は注射針でさえもリユースでした。次第に汎用注射器やツベルクリン用注射器が用いられるようになり、その後、インスリン専用のプラスチック製使い捨て注射器が登場しました。
1日に複数回注射を必要とする強化インスリン療法が提唱されてからは、ペン型の注射器が登場し、現在ではこれが主流になっています。さらに自分でインスリンを打たなくても自動的にインスリンが入る、インスリンポンプ製品も開発されました。
自己血糖測定(SMBG)の機器や持続血糖モニター(CGM)も、次々と開発されています。CGMを用いることで、朝食後や昼食後など日中の血糖値は高くても、夜間には低血糖を起こしている場合がある、といったことがわかるようになりました。
糖尿病治療の目標と課題
糖尿病治療の目標は、昔は健康な人と変わらない人生を送ることでしたが、最近は「高齢などで増加する依存症、例えばフレイルや認知症などの予防や管理」、「スティグマや社会的不利益、いわれない差別の除去」も目標に加わっています。
スティグマ(Stigma)とは、個人の特徴を一般的に否定的なカテゴリーと結びつけてレッテルを貼り、認識することです。医療者がこのような態度を示すと、患者さんはケアを受けることを避ける、治療計画に参加しないなどのネガティブ行動につながると考えられます。
糖尿病の患者さんが実際に経験する社会的スティグマには、生命保険に加入できない、住宅ローンを断られる、就職できない、寿命が短いなどがあります。これにより、糖尿病であることを上司・同僚に伝えないという状況が予測されます。
また、糖尿病という疾病に対して、「不治の病→療養生活」というイメージが社会に定着し、その後の患者さんの不利益につながっています。
しかし「患者の寿命は10年短い」、「糖尿病患者は早死にする」といったことはもはやなく、日本人一般と日本人糖尿病の死因の変遷をみると、日本人糖尿病患者さんが血管障害で死亡する割合は低下し続けていることがわかります。これは糖尿病患者さんが、定期的に来院して早く検査を行っていることが関係していると考えられます。その他、虚血性心疾患も脳血管障害も低下しています。ただ一つ、腎症だけは日本人一般に比べると日本人糖尿病のほうが死亡者数が多いのですが、これも何とかできれば、糖尿病患者さんにとって、主な死因はかなり改善されると思います。
糖尿病患者さんが糖尿病ではない人と変わらない一生を送るためには、社会的な市民権を得る必要があります。そのためには、医療者が烙印を押さない社会、そしてそのための教育が必要であり、患者さん擁護の視点をもってケアを提供することが大切です。